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「シラノ・ド・ベルジュラック」を観る [お芝居]

昨日夜、キャラメルボックスの「シラノ・ド・ベルジュラック」を娘と2人で観に行った[ぴかぴか(新しい)]
シラノ・ド・ベルジュラック・・・あーなんか有名で知ってるけど、どんな物語だったっけ??というくらいのいいかげんな気持ちで観に行ってしまった私。でも、でも、これは観て良かった~と思えるお芝居だった[わーい(嬉しい顔)]

鼻が大きすぎるという外見のコンプレックスがあるために、好きな女性ロクサーヌに告白できない男、シラノ。そして、ロクサーヌが同じ隊にいるルックスのいい男、クリスチャンに恋していることを知ってしまう。しかしクリスチャンは、自分の気持ちを上手く言葉で表現できないために、彼女に近づくことができず悩んでいた。詩人シラノはそんな彼に、恋の言葉を教え彼を助ける。ロクサーヌは、自分への愛を様々な言葉で表現してくれるクリスチャンにますますぞっこん。そして結婚することに。しかし、後にクリスチャンは戦死。そして長い年月を経てやっと、ロクサーヌはシラノこそ、クリスチャンの影武者となって、自分を愛してしてくれていたことに気づくという内容。とても切ない物語なのだ[もうやだ~(悲しい顔)]

この古典的なお芝居を、キャラメルボックスは見事に私たちに見せてくれた[かわいい]
古めかしいセリフがまず、とても新鮮。まるで世界名作全集を読んでいるかのような錯覚に陥る。独特の翻訳の文章を思い出す。しかし、古めかしいのにテンポが良く、物語はサクサクと進んでいく。

このお芝居のなかでは、ロクサーヌを通して、いつの時代も女性は言葉を欲しがり、言葉で愛を確かめたい生き物なのだという普遍的な事実を思い知らされる。男性からみると「めんどくさい」生き物なのだろう。言葉の表現力で評価されるなんて・・・大変だ。いくら男前でも、愛を語れない男は興ざめなのだ。
もちろん初めは外見でクリスチャンに惹かれたロクサーヌだが、彼の発する言葉によって、さらにハートを打ち抜かれる。そして彼の姿がどのようになったとしても、彼の魂を愛しているという境地にたどりつく。

それはつまりロクサーヌはきっと、外見でクリスチャンを好きになった自分を「ちょっとダメだな」と思っていて、クリスチャンの内面を好きになったと思いたかったから、彼の言葉で彼の魂のよさを確信したかったんだと思う。外見もいいけど、中身はもっと素敵なのよ[exclamation]だから好きになったの・・・って恋する女は信じたいものね。だから、いくら内面がよくても、シラノには最初から恋に落ちることはなかったんだわ。

うーん、考えさせられるわー。恋は盲目[黒ハート]好きになったら、全てがいいように見えるもの・・というか、そうあって欲しいって思うから、そう見えてしまうんだよねー。

と言う風に、私の頭のなかでは堂々巡りが繰り返されるのだった[あせあせ(飛び散る汗)]

恋は自分の心が創り上げる妄想なのかも知れないなぁ~[失恋]いつまでも相手のことを妄想していられた人が、幸せをつかめるのかもしれない。

シラノ・ド・ベルジュラックの世界は、とっても深い。

さて娘は、何を感じたのだろうか?
観終わって「お話、わかった?」って聞いたら、「うん、わかったよ」と答えたけれど、いったいこの子はここから何をわかったのだろうか・・・。知りたくもあり、知りたくなくもあり、複雑な気持ちになる母であった[あせあせ(飛び散る汗)]




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